なしのつぶて

本や映画についての個人的な感想、それに関する雑談を綴ります。

ジョン・カサヴェテス「オープニング・ナイト」

 

オープニング・ナイト [DVD]

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今日の映画

ジョン・カサヴェテス 監督作品

「オープニング・ナイト」

ジーナ・ローランズ 主演

 

 これは恋人からすすめられて一緒に観た映画だ。テーマは「孤独」「第二の女」「女としての老い」といったところか。

 ジョン・カサヴェテスとその妻であったジーナ・ローランズが共演している、ジョン・カサヴェテスが演者も監督もした作品になる。

 

 女優として地位も名誉もある主人公が「女として老いた」役をやらなくてはいけなくなるが、彼女はまだ自分のことを若いと思いたい。情熱があって、みずみずしくて、美しい自分の過去の栄光に苛まれて自分の年齢と与えられた役を受け入れられず、目の前で事故死したファンの女の子の幻覚を見るようになる。

 

 正直、あまり面白くなかった。退屈で、途中で何度も腹の虫が騒いだ。事故死した女の子のことは精神乖離の一種か、もしかしたらタルパか?といろいろ考えたが、あくまでも「私(主人公)が創り出した幻影」ということで話が進んだ。

 じゃあ急に襲ってくるなよ。ホラー映画かよ。本当に顔が綺麗だから怖いわ。

ツッコミたいところだが、これは割愛しておく。

 映画界の評価は非常に高い作品らしいが、役に食われて同じように精神が分裂する雰囲気ならダーレン・アロノフスキー監督の「ブラック・スワン」の方が面白かったな、と観ながらぼんやり考えていた。

 

 ただ、彼が私にこれを持ってきたことは正しいと思う。いま23歳になる年齢だが、とっくの昔に私は老いと戦い始めている。

 男性にはあまりわからないのかもしれないが、成人をすれば肌質も髪質も変わってくるし、肌荒れは治りにくくなるし、自然とシミは浮き上がってくる。何より目尻のシワが目立つ。周りは気にしていないかもしれない。それでも、こっちはいつからあるシワなのか、どこで日焼けしたときのシミなのか気になるものである。何ならもう30代の自分がみっともないオバチャンになっていたらどうしようと不安である。

 成人をして何年かが経ち、自分より年下の子が世間で活躍していると自分に対して簡単に絶望するようになった。最近、恋人の影響で野球をみることも理由のひとつだ。あの選手は若そうだな、と思ったらだいたい年下か同い年で、恐縮する。こんなに立派な活躍をしている子もいるのに、私と来たら社会人をさっさとドロップアウトしてしまった。まったく、堪え性がない。

 ここで笑い話にできたらいいのだが、私の場合はそうもいかない。ここ数日も自己肯定感が生まれなくて死にそうだった。何とか自分を褒め、慰めつつ生きている。

 

 さて、私個人の話は置いといて、最近の俳優で「こんな役やるようになったんだ」と思った人が、いつの時期でも何人かはいるだろう。

 彼女は少し前までは制服を着て高校生だったはずなのに、急に結婚して人妻の役をやるようになった。とか、彼女は独り身を謳歌している主役だったのに、いつの間にか母親役として助演になっている、とか。あとは不幸な未亡人妻役や不倫系のドラマでばかり見かけるけど、似合っているなと思ってしまう、とか。

 役者というものはやはりイメージで形作られていて、だから一度ついたイメージはもう消えないのだという。

 この映画で主人公も「老いた女の役を演じきって、あの女優は何歳だ」と詮索されることに何よりも怯えていた。役の幅は狭まるのではない。完璧に根元から動いてしまうのだ。少女から高校生、独身OL、人妻、母親といったふうに。

 子役、と呼ばれるのは何歳までか。何歳を過ぎてしまったら大人の事情で使いにくくなるのか。私にはわからない。けれど実際、名女優の安達祐実も一世を風靡したが「顔と実年齢が合わない」ということで一時期まったく仕事がなかったとも言う。ではどういう役なら手に入るのか。焦るだろうし、自分に自信をなくしてしまうこともあるだろう。

 「使いにくいから」なんて理由で仕事がなくなるなんて厳しい業界だと思うが、それが事実なのだ。だから俳優は日々挑戦を続ける。

 そしていつしか年齢を重ね、女の場合は急に「老い」をぶつけられる。昨日までは少女だったはずなのに、と誰もが思うだろう。エプロン姿で家の前を掃くお節介なオバチャンになんてなりたくなかったはずだ。まだ現実で結婚をしてもいないのに母親として母親らしく振る舞わなければいけない時もそう。必要な役だから、そうならなければいけない。

 それは私たちが考えるよりも大きな恐怖だ。

 主人公は孤独だった。舞台に立つため、演じるために夫も子供も持たなかった。女として輝いていられなければその先はただの老女になるしかない。それが痛い程わかっていたから、怖かったのだと思う。

 私ももう少し年を重ねたら、この映画を絶賛することもあるのだろうか。

 

 それにしても、歩けないほど酔った姿で舞台に立って演じ切る主人公にも、その姿で舞台に出す周りの役者たちにも、驚いた。そこには確かに演劇への情熱と、絶対にこの演者でという強い意志があった。

 

1977年 ジョン・カサヴェテス「オープニング・ナイト」(144分)